松山城の歴代城主
- 加藤嘉明 加藤嘉明像
- 蒲生忠知 蒲生忠知の祖先は、源氏・平氏と並ぶ名門武家の棟梁「藤原秀郷」(ふじわらのひでさと)です。
- 松平定通 蒲生家の断絶後は、明治維新まで松平家が松山城主を務めましたが、なかでも伊予松山藩11代藩主「松平定通」(まつだいらさだみち)は名君と呼ばれています。
松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めたお城です。松山城は、豊臣秀吉の家臣であった加藤嘉明が築城した城です。 加藤嘉明は、柴田勝家(しばたかついえ)と戦った「賤ケ岳の合戦」で、加藤清正(かとうきよまさ)、福島正則(ふくしままさのり)らと共に「七本槍」の一人として活躍し、3,000石が与えられました。
松山城は誰の築城ですか?加藤清正(かとうきよまさ)や藤堂高虎(とうどうたかとら)らとともに築城の名手として知られる伊予松山藩(現在の愛媛県松山市)の初代藩主・加藤嘉明(かとうよしあき)が生み出した、天守現存のお城です。
松本城の城主で有名なのは誰ですか?
歴代城主一覧
城主家 | 城主名 | 在任期間 |
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小笠原氏 | 忠政(ただまさ) [忠真(ただざね)] | 慶長20~元和3(1617) |
戸田氏 | 康長(やすなが) | 元和3~寛永9(1632) |
康直(やすなお) | 寛永10(1633) | |
松平氏 | 直政(なおまさ) | 寛永10~寛永15(1638) |
初代藩主酒井忠恒は超誉師に帰依し、心光寺の興隆を図り菩提寺として、松山藩酒井家の信仰を集めてまいりました。 御廟所は、初代藩主酒井忠恒、二代藩主酒井忠豫、三代藩主酒井忠休を祀っております。 初代藩主忠恒は、延宝3年(1675)に高野山、牛込光照寺に葬られましたが、分骨して心光寺に葬られました。
松山城にはトイレはありますか?
(質問)天守内にエレベーターやトイレはありますか? 松山城天守は、全国に12箇所しか残っていない江戸時代以前に建造された城郭の一つで、国の重要文化財に指定された大変貴重な歴史的文化遺産です。 そのため、天守内にエレベーターやトイレはありません。
松江城
松江城 (島根県) | |
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主な城主 | 堀尾氏、京極氏、雲州松平家 |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
遺構 | 現存天守、石垣、堀 |
指定文化財 | 国宝(天守) 国の史跡 |
松本城の初代城主は誰ですか?
長野県松本市のシンボル「松本城」は、1504年(永正元年)に前身となる「深志城」(ふかしじょう)を築城したのが始まりとされています。 1582年(天正10年)小笠原貞慶(おがさわらさだよし)により、深志城から松本城へと改名。歴代の城主
- 石川氏 数正 1590年に和泉国から8万石で入封 康長 1613年に大久保長安事件に連座し改易九州佐伯へ配流
- 小笠原氏 秀政 1613年に信濃飯田から8万石で入封 妻「福姫」は家康の孫 忠真 1617年に播磨明石へ転封
- 戸田氏 康長 1617年に上野高崎から7万石で入封 妻「松姫」は家康の義妹
- 松平氏
愛媛県出身の主な人物
- 河野通信 平安末期から鎌倉初期の武将。 伊予水軍力で源氏を助け勝利に導いた。
- 一遍上人 遊行上人。
- 河野通有 弘安の役に伊予水軍を率いて軍功をあげた。
- 正岡子規 本名常規。
- 秋山好古 陸軍騎兵の父。
- 秋山真之 日露戦争で東郷連合艦隊指令長官の参謀。
- 安倍能成 漱石門下。
1602年松山城 / 開業
松山市中心部にそびえ立つ松山城は、加藤嘉明が1602年(慶長7年)から約25年の歳月をかけて築城しました。
松山城に歩いて登ると何分かかりますか?標高132メートルの本丸広場まで、登城道がありますので、歩いて登ることもできます。 徒歩での登城ルートは4ルートあり、よく利用されているのは、東雲口登城道と県庁裏登城道です。 所要時間は、約20~30分です。
松山城は車で登れますか?本丸広場まで自動車で登ることはできますか? 一般車両の通行はできません。 歩いて登られる方もいる上、本来、登城道は車両用道路でないため大変危険です。 自転車およびバイクの通行もできません。
松江城は現存していますか?
松江城は全国に12城しか残っていない現存天守の1つです。 現存天守は江戸時代またはそれ以前に建てられ、壊れることなく現代に姿を残す特別な存在なのです。 その中でも、慶長16年完成の松江城天守は、彦根城、姫路城と並び、近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されています。
全国に現存する 12 天守の一つで、別名「千鳥城」とも呼ばれています。 2015 年 7 月、国宝に指定されました。 最上階の望楼まで登ると、松江市街や宍道湖が一望できる絶景が待っています。中でも「三大築城家」と言われる3人をご紹介します。
- 加藤清正の極意―篭城に強い城
- 藤堂高虎の極意―城下を意識する
- 黒田官兵衛の極意-築城も効率よく
また、松本城(長野県)は、『信飛新聞』発刊者の民権運動家・市川量造(いちかわりょうぞう)が、有志から資金を集めて落札主から天守を借り受け、さらに県の協力も取り付けて天守で博覧会を開催。 その収益で天守を買い戻し、取り壊しを回避したのです。