《大海中に住み百年に一度水面に出てくる目の見えない亀が、ようやく浮木に遇 (あ) いその穴に入るという「涅槃経」などにある話から》めったに会えないこと。 また、仏法に出会うことが困難であることのたとえ。『盲亀の浮木』は、滅多にないことや常識的にはありえないことを意味する言葉です。 正しくは『もうきのふぼく』と読みます。 目の見えない亀『盲亀』が海に浮かび上がった際、浮かんでいた木『浮木』の穴に頭が入る様子を表現しています。 『涅槃経』など仏教の古典に見られる寓話の一部です。《大海中に住み百年に一度水面に出てくる目の見えない亀が、ようやく浮木に 遇 あ いその穴に入るという「涅槃経」などにある話から》めったに会えないこと。 また、仏法に出会うことが困難であることのたとえ。
「盲亀の浮木、優曇華の花」とはどういう意味ですか?「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し」は、目の見えない亀が百年に一度大海で浮き木に偶然めぐり合ってその穴に入ろうとし、また三千年に一度咲くという幻の花、優曇華の花に遭遇したような、願ってもない絶好の機会って意味で仇討ちの時に使われる常套句じゃ。
目が見えない四字熟語は?
有象無象の語の由来・語源
有象無象は、仏教用語の「有相無相」が転じた語とされる。 すなわち有相無相が、有象無象の語源といえる。もうき‐の‐ふぼく〔マウキ‐〕【盲亀の浮木】
「墓木」とはどういう意味ですか?
ぼ‐ぼく【墓木】
墓上に植える木。
はざ木(稲架木)とは、刈り取った稲を乾燥させるために植えられている木のこと。
優曇華の花は仏教とどんな関係がありますか?
優曇華というのは仏教のお話の中での想像上の花で、正式名称は優曇波羅華(ウドゥンバラ・プシュバ)と言い、3000年に1度咲き、咲いた時には仏教の中での偉い人が現世に現れると言われています。 古来日本では、なんと「虫の卵」が優曇華の花と見なされ、吉凶いずれかの前兆とされてきました。にょぜ-がもん【如是我聞】
仏の説であることを示すために、釈迦しゃかが弟子の阿難に経典きょうてんの冒頭に冠させたといわれる。 ▽仏教語。 「如是」はこのようにの意。 「我聞」はそれを聞いたこと。大海に住む盲目の亀が100年に一度海中から頭を出し、そこへ風のまにまに流された一つの孔がある流木が流れてきて、亀がちょうどその浮木の孔に出遇うという極めて低い確率の偶然性を表す比喩譚。
はちめんれいろう【八面玲瓏】
「八面」は、あらゆる面、すべての方面。 四方八方。 「玲瓏」は、美しい玉の透き通っていて曇りのないさま。
「目が泳ぐ」とはどういうことわざですか?目 め が 泳 およ ぐ
詰問などをされた際に、隠し事や心にやましいことがあるため、詰問者と目を合わせることができず、目の焦点が定まらずきょろきょろすること。
「一眼の亀」とはどういう意味ですか?仏や仏の説く正法に巡り合うことがいかに難しいかを示す譬えに登場する亀。 法華経妙荘厳王本事品第27には「仏に巡り合うことが難しいのは、一眼の亀が浮き木の穴に巡り合うのと変わらない」(法華経657㌻、趣意)とある。
樹木葬には戒名はつきますか?
樹木葬では戒名がなくても納骨が可能です。 戒名とは仏教の教えをもとに、故人さまに授けられる名前です。 仏弟子になった証として授けられる名前なので、仏教以外の宗教で供養をするなら戒名は必要ありません。 また、樹木葬は宗旨宗派不問の自然葬です。
里山型樹木葬では、その自然ゆえに山火事を防止するため、火気厳禁であるところがほとんどです。 線香やろうそくは禁じられており、手を合わせるのみのお参りが一般的です。 また、自然環境維持の観点から献花台が用意されていないところ、食べ物の持ち込みも禁止されているところが多いです。束ねた稲を棒などに架けて約2週間、天日(太陽光線)と自然風によって乾燥させます。 この自然乾燥を「稲架掛け」と言います。 地方によって、稲掛(いねかけ)、稲架(とうか)など、さまざまな呼び方があります。稲架木は、稲架場にたも木やハンノキを植えて、稲の乾燥に利用する新潟県特有のものです。