1 自然にまかせて、人為を加えないこと。 また、そのさま。 むい。 2 平穏無事なこと。ぶ-ゐ・なり 【無為なり】
自然のままだ。 手が加わっていない。 [訳] 自然と事が起こったならば。 平穏無事だ。む‐い〔‐ヰ〕【無為】
作為のないこと。 また、そのさま。 ぶい。
「無為」の使い方は?Weblio日本語例文用例辞書
- 彼は毎日を無為に過ごしている
- 彼は私の怠慢[私が人生を無為に過ごしたこと]をしかった.
- なんぼ華族だからとて無為にして朽ち果てる必要は無い
- なんぼ華族だからとて無為にして朽ちてしまう必要は無い
- 無為に日を暮らす
- 彼は無為に終わった
- 無為にして化す
無為の症状は?
無為・自閉 本人の自然な欲動・意志がみえず、自分の殻の中に閉じこもったようにみえる状態です。 時に「ひとりでぶつぶつ意味不明なことをつぶやいている」(独語)がみられます。 独語は口の動きとして表れなくとも、のどが動いている場合があります。むいむのう【無為無能】
自分の能力や才能を謙遜していうことば。 「無為」は、何もしないこと。 「無能」は、はたらきや才能がないこと。
無為自然とはどういう思想ですか?
「道」と並んで重要な老子思想に「無為自然」があります。 万物が「道」に順って生きていくのに基本となるあり方が「無為自然」です。 「自然」は「自(おの)ずから然り」、他からの影響を一切受けることなく、大昔からそれ自体がそのようであるさまをいい、「無為」は「なんら作為をしないとこと」という意味になります。
無為 の類語
- のどやか
- 静か
- 坦々たる
- 太平
- 平和的
- 和順
- 泰平
- のどか
嘘や偽りがなく、正直なこととは?
「明き心」 というのは、嘘や偽りのない心、隠し事のない心、明るく朗らかな心、元気と希望に充 たされた心のことです。 また、「直き心」というのは「すなお」の意味です。 そのままの 心、真っすぐな心(正直)のことです。 したがって、卑怯なことや嘘偽りを嫌う心のこ とだと言ってもいいでしょう。老子が目指す「無為自然(むいしぜん)」とは、そ の「無」の道に従って、いっさいの作為を捨て自然のままに生きることであった。 老子は、知識・学問・ 欲望・技術・道徳・法律などの作為は、社会に混乱と争いを招くと考えたのである。「無為」の言い換え・類義語
- のどやか
- 静か
- 坦々たる
- 太平
- 平和的
- 和順
- 泰平
- のどか
無為とは、意志や欲動が著しく低下して何もやる気が起きず、周囲への関心や感情的反応が乏しくなることをいう。 その結果、対人関係をうまく築けず、引きこもるような状態になることを「無為自閉」という。
無為にして治るとはどういう意味ですか?無為(むい)にして化(か)す
《「老子」五七章から》支配者が人為を用いなければ、特別なことは何もしなくても、人民は自然に教化されて天下もよく治まる。
無能の例えは?技術または適性の欠如を示すさま の意
- 不手際
- ぎごちない
- 無器用
- ぎこちない
- ぶきっちょ
- まずい
- へぼ
- へま
老子のいう無為とは?
老子が目指す「無為自然(むいしぜん)」とは、そ の「無」の道に従って、いっさいの作為を捨て自然のままに生きることであった。 老子は、知識・学問・ 欲望・技術・道徳・法律などの作為は、社会に混乱と争いを招くと考えたのである。
◇「偽り」は「嘘」よりも意識的、作為的で、改まった言い方。 「偽り」はまた、「彼の言動には偽りが多い」「偽りの愛」のように言葉以外に行動や態度で欺く場合にも用いられる。 ◇類似の語に「虚偽」がある。 「偽り」と同義で、「虚偽の申告をする」のように、多く文書などに用いられる。正直者 しょうじきもの が 馬鹿 ばか を 見 み る
世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。「無為」という言葉は、何もしないでいることという意味で使われますが、『老子』で使われている「無為」は一切何もしないということでなく、作為的なことはなにも行わないという意味です。 「作為的なことは何もしないのに、すべてを為している」とは、どういう状態か。