「心の矢は石にも立つ」とはどういう意味ですか?
「石に立つ矢」は、“一念を込めてやれば、どんなことでもできる”さまを示します。何事も必死になってやれば、不可能なことはないというたとえ。 中国の楚(そ)の猛将・熊渠子(ゆうきょし)が岩を虎(とら)と誤認して矢を放ったところ、矢は岩を貫き通したという。いし【石】 に 立(た)つ矢(や)

(石を虎(とら)と思って矢を放ったところ射通ったという「韓詩外伝‐六」に見える楚の熊渠子(ゆうきょし)、「史記‐李広伝」に見える漢の李広などの故事から) 一心をこめて事を行なえば、不可能なことはないということのたとえ。

きしんやのごとくとはどういう意味ですか?きしん【帰心】 矢(や)の如(ごと)し

自宅や故郷にまっすぐ早く帰りたいと願う気持が、ひじょうに強い。

石に立つ矢は誰の故事ですか?

一念を込めてやれば、どんなことでもできることをいうたとえ。 漢の李広が石を虎と見誤って矢を射たところ、矢が石に立ったという「史記」李広伝の故事による。「他山の石」と書いて、「たざんのいし」と読みます。 直接の意味は“よその山から出たつまらない石”ですが、ここから転じて、「自分にとって戒めとなる、他人の誤った言行」、という意味で使われるようになりました。 つまり、他人の誤った行いを、自分の学びにしようということですね。

心は二つ身は一つとはどういう意味ですか?

こころはふたつみはひとつ

あれもしたいこれもしたいと思うけれども、体は一つで思うに任せないことをいう。 同時に二つのことができずに嘆くときに用いる言葉。

・射手(いて) 弓を射る人のことをいいます。

「竹藪に矢を射る」とはどういう意味ですか?

の解説 《見えない目標に向かって矢を射る意から》むだなことのたとえ。はじめはしょじょのごとくのちはだっとのごとし

最初のあいだはおとなしく物静かに振る舞って、相手を油断させておき、そのあとで逃走する兎(うさぎ)のような勢いで素早く行動し、敵を打倒することをいう。故郷やわが家に帰りたいと思う気持ちが非常に強い。

自分の玉をみがく砥石として役立つ、よその山から出た粗悪な石。 転じて、人の誤った言行も自分の修養の助けにできる。 [解説] 「詩経―小雅・鶴鳴」の「他山之石、以て玉を 攻 みが くべし」から出たことばで、かつては、主として小人の言行を見て徳を高めるという文脈で用いられていました。

「一念岩をも通す」の由来は?このことわざの語源は、昔、李広という弓の名人がいて、あるとき草むらに虎が潜んでいるのを見つけ、必死に矢を射て、突き刺さったところを見に行くと、それは虎ではなく岩だったという話。 そこから本来の意味は「何事も一点の曇りもなく信念をもって臨めば、願いは成就する」というものなのです。

「他山の石」は失礼ですか?「他山の石」は「よそのくだらない石」という意味です。 よいことを見習うという意味はありませんので、「お手本にさせていただきます」の意図で「他山の石とさせていただきます」などと使うのは失礼に当たります。 気を付けてくださいね。

「他山の石」は悪い意味ですか?

「他山の石」は他人の失敗やよくない行動を指して使う言葉ですので、いい意味としては使われません。 「他山の石」が自分の今後の行動の参考にはなりますが、他人のよくない言動を指しており、悪いたとえとして使われる言葉です。

普通の人と大いに異なっていて、気を抜けない感じを強く抱かせる。じんしんいっしん【人心一新】

人々の気分や態度を新たにさせること。 民衆が新しい気持ちになるような政策や改革を行うこと。 「人心」は、世の人々の心。 民心のこと。流鏑馬(やぶさめ)とは、疾走する馬の上から矢を的に射る武術のことです。 古来より武家社会が終わるまで、武士の嗜みとして盛んに行なわれてきました。 実戦的な武術からはじまり、礼法や神事にまで発展してきた流鏑馬。 そんな流鏑馬の意味や成り立ち、現代で行なわれている祭事の様子などについて幅広くご紹介します。