「万事休」とはどういう意味ですか?
「万事休す」とは、「これ以上打つ手はなく、すべておわりだ」という意味。 「もう何をしてもだめだ」という状況で使います。 「万事」は、「すべての物事」という意味で、「休す」は、「おさまる」という意味。「万事休す」の例文・使い方・用例・文例

  1. 万事休すだ。 もうどうしようもない。
  2. 今頃彼は万事休すだ。
  3. もうだめだ, 万事休す.
  4. 僕もこれで万事休すだ.
  5. 病人は全快の見込み無し(万事休す)
  6. こうなっちゃおしまいだ(万事休す)
  7. 万事休す
  8. 病人は万事休すだ

ばんじきゅうす もはやすべての方策も尽きて、どのような打つべき手もないことをいう。 中国の宋(そう)の時代の人・高従誨(こうじゅうかい)は、第十子の保きょく(ほきょく)を、目の中に入れても痛くないほどにかわいがっており、どんなに機嫌の悪いときでも、その息子の顔を見ると気持ちがおさまったという。

「万事休す」の誤用は?「万事休す」の誤用 「万事休す」を「万事窮す」と表記する方は多いですが、これは誤用です。 「窮する」は「行き詰まってどうにもできなくなる」「金銭や物が底をついて苦しむ」という意味なので、「万事窮す」と誤用されてしまいがちです。

万事休す なぜ休む?

意味は以下の通りです。 「万事」は、「すべてのこと」。 「休す」は、「おしまいになる」という意味です。 思いつくことはすべてやったが無理だった、今更何をしても仕方ないというような、諦めの気持ちや絶望的な状況を表すことわざです。「人間万事塞翁が馬」とは

幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。

「万事休す」の言い換えは?

どうしようもない状況のこと

  • 手詰まり感
  • 行き詰まり
  • 手詰まり
  • 万事休す
  • 五里霧中
  • 立ち往生
  • なす術なし
  • 四面楚歌


どうしようもない状況のこと

  • 手詰まり感
  • 行き詰まり
  • 手詰まり
  • 万事休す
  • 五里霧中
  • 立ち往生
  • なす術なし
  • 四面楚歌

「人間万事塞翁が馬」と同じ意味のことわざは?

「禍福は糾える縄の如し」の1つ目の類語は「人間万事塞翁が馬」です。 もっと短く、「塞翁が馬」と表現することもあります。 「人間万事塞翁が馬」とは、人生の禍福は転々としていて、なにが幸運なのかが予測できないことをたとえた人生訓です。株式投資に売りと買いのどちらかしかないと思うのは誤りで、休むことも大切な要素であると説くのが、この「売るべし 買うべし 休むべし」である。 「売り買い休みの三筋道」とか「休むも相場」等ともいう。「塞翁が馬(さいおうがうま)」とは、幸運な出来事があっても幸運とは限らず、反対に不幸なことがあってもそれが本当に不幸であるかはわからないということを意味する言葉です。 「将来のことは予測できない」というニュアンスで使われます。

塞翁 さいおう が 馬 うま

その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。

一生懸命頑張る様子を何と言う?粉骨砕身とは、骨を粉にし身を砕くほど労を惜しまず全力で取り組む意味で、決意表明などに使う言葉です。 粉骨砕身の言い換え表現は「骨折り」「尽力」「腐心」、類語は「刻苦精励」「粒々辛苦」「彫心鏤骨」などが該当します。

「人間万事塞翁が馬である」とはどういう意味ですか?「人間万事塞翁が馬」この言葉を私が高校生の頃にとある雑誌で知りました。 将来のことは予測できないという意味で,幸せなことが不幸に,不幸なことが幸せにいつ転じるか分からないので物事に一喜一憂しない,右往左往しないというたとえです。

「大事をとって休む」の言い換えは?

念のため 「念のため」は、「ますます注意するため」や「確認のため」といった意味の言葉です。 「倦怠感があるので念のため休みます」のように、「大事をとって」の言い換え表現として使うことができます。

たいぜんじじゃく【泰然自若】 何事が起こっても落ち着き払って、少しも動じないさま。人生は、良いことも悪い事も予測できないということ。

幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。「人間万事塞翁が馬」の意味解説

「じんかん」とした場合は、「世の中」と解釈することから、世の中で起きることは全く予想がつかないという意味になる。 いずれにも共通するのは幸・不幸は予測し難く、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないということである。